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捨てられた銀髪令嬢は、狼王の唯一の番になる
捨てられた銀髪令嬢は、狼王の唯一の番になる
Author: あおはな

第01話 灰色の布で銀髪を隠して

Author: あおはな
last update publish date: 2026-06-09 02:47:56

「その髪が見えないようにしなさい」

 冷たい声とともに、灰色の布が頭から被せられた。

 薄暗い控室の鏡に映る自分の姿を、セレナは黙って見つめた。

 彼女の腰まで届く銀髪は、布の内側へ押し込められている。

 何本かこぼれ落ちた髪を、侍女が慌てて拾い上げ、見えないように隠していく――まるで、人目に触れてはならない汚らわしいものを扱うような手つきだった。

「今夜は、リリアーヌの晴れの日なのだから」

 鏡越しに母親であるマリアンヌの姿が見えた。

 彼女は金色の髪を美しく結い上げ、淡い水色のドレスをまとっている。

 社交界で称賛される公爵夫人らしく、その姿には隙がない。

 ――けれど、母はセレナの名前を呼ばなかった。

 幼い頃から、ずっとそうだった。

 実の子だと言うのに、彼女の名を呼ぶことなど一度も――”セレナ”という名を母の口から聞いた記憶はほとんどない。

「……申し訳ございません、お母様」

 セレナが小さく答えると、マリアンヌはわずかに眉を寄せた。

「謝罪は求めていませんから余計なことをしないで」

「……はい」

 反論しようとは思わなかった。

 何を言っても、母をさらに不快にさせるだけだと昔からもう知っている。

 慣れた事なのだ。

 銀髪で生まれたことは、セレナ自身にもどうすることもできない。

 それでも、幼い頃から何度も責められてきた。

 ――お前の髪は不吉だ。

 ――屋敷の外へ出てはならない。

 ――人前に姿を見せてはならない。

 ――誰かに見られれば、公爵家の恥になる。

 いつの間にかセレナは、謝ることだけが上手になっていた。

「お母様、こちらの髪飾りはいかがでしょう?」

 明るい声が、控室の空気を変えた。

 振り向かなくても、誰が入ってきたのか分かる――妹のリリアーヌだった。

 淡い桃色のドレスは、幾重にも重ねられた薄布が歩くたびに柔らかく揺れ、母親と同じ金色の髪には、小粒の真珠と宝石を散らした髪飾りが添えられていた。

 王都で今もっとも評判の仕立屋に作らせたものだと、使用人たちが話していた。

「まあ、よく似合っているわ」

 先ほどまで冷え切っていた母の表情が、春の日差しを受けたように和らいだ。

「本当に綺麗よリリアーヌ。今夜はきっと、皆があなたに見惚れるでしょうね」

「そんな、お母様ったら」

 リリアーヌは恥ずかしそうに頬を染めた。

 ただ、その様子を、セレナは鏡越しに見ていた。

 ――母は、そんなふうにも笑えるのだ。

 知っているはずなのに、何度目にしても胸の奥が少しだけ痛む、そう、痛むだけだった。

 もう、羨ましいと思うことさえ許されないような気がしていた。

「フフ……お姉様も、今夜は大変ですわね」

 リリアーヌが、ふいにセレナへ声をかけた。

 心配そうに眉を下げ、灰色の布を見つめる。

「その布、苦しくありませんか?」

「もうなれました、大丈夫です」

「本当に?お姉様は我慢強い方ですから、いつも無理をなさるでしょう?」

 柔らかな声音で彼女は笑う。

 もしも事情を知らない者が聞けば、姉を気遣う優しい妹に見えるだろう。

 けれど、セレナは知っている。

 リリアーヌは、セレナが人前で銀髪をさらすことを誰よりも嫌がっている。

  幼い頃、一度だけ風に飛ばされた頭巾から髪がこぼれたことがあった。

 その時、リリアーヌは泣き叫んだ。

 ――怖い。

 ――近づかないで。

 ――お姉様の髪を見ると、悪いことが起きる。

 その声に駆けつけた両親は、泣いているリリアーヌを抱きしめた。

 セレナには、離れから出ないよう厳しく言いつけた。

 それ以来、リリアーヌが泣けば、悪いのはいつもセレナだった。

「お姉様」

 呼びかけられ、セレナは我に返った。

 リリアーヌは相変わらず心配そうな顔をしている。

「今夜は、余計なことをおっしゃらないでくださいね?」

「……余計なこと、ですか?」

「ええ」

 リリアーヌは困ったように微笑んだ。

「殿下は近頃とてもお疲れなのです。魔物の被害も増えておりますし、王太子としてお考えにならなければならないことが多いのでしょう」

「そう、ですか」

「ですから、お姉様まで殿下を困らせてはいけませんわ」

 リリアーヌは一歩近づき、セレナの手を取った。

 その手は冷たい。

 けれど、傍目には姉妹が仲睦まじく手を取り合っているように見えるだろう。

「……お姉様は殿下の婚約者なのですもの。殿下のお立場を、誰よりも理解して差し上げなくては」

 王太子アルベルトの婚約者――その言葉は、何度聞いても自分のことではないように感じられた。

 セレナがアルベルトと婚約したのは、十二歳の頃だった。

 けれど、二人きりで言葉を交わした記憶はほとんどない。

 夜会へ出席しても、彼の隣に立つことは許されない。

 婚約者として贈り物を受け取ったこともない。

 体調を崩した時に、見舞いの言葉をもらったことさえなかった。

 代わりに、アルベルトの隣で笑うのはいつもリリアーヌだった。

 それでも、誰も問題にはしない。

 華やかな妹と、灰色の布で髪を隠した姉。

 どちらが王太子の隣にふさわしいかなど、言葉にするまでもないと思われているのだろう。

「……ええ、わかったわ」

 セレナが頷くと、リリアーヌは安心したように微笑んだ。

「さすがお姉様ですわ。きっと分かってくださると思っていました」

 その言葉に、胸の奥が静かに沈んでいく。

 そう、分かっている。

 セレナは昔から、分かっているつもりだった。

 自分が我慢すれば、皆が安心する。

 自分が黙っていれば、誰も困らない。

 自分が余計なことを望まなければ、家族は穏やかに暮らせる。

 だから、今日も頷く。

 それ以外の選択肢を、セレナは知らなかった。

 すると、控室の扉が開いた。

 そこに現れたのは父親であるオズワルドだ。

 黒髪には白いものが混じり、厳格な顔にはいつも以上に深い皺が刻まれている。

 父の視線は、まず華やかなリリアーヌへ向いた。

「よく似合っているぞ、リリアーヌ」

「ありがとうございます、お父様」

 父親の言葉に対し、リリアーヌは嬉しそうに笑った。

 その後で、父はようやくセレナを見た。

 灰色の布で銀髪を隠し、目立たない濃紺のドレスをまとった娘を。

 その目に、愛情らしきものはなかった。

「準備ができたなら行くぞ」

「はい、お父様」

 セレナは静かに立ち上がった。

 布の内側へ押し込められた銀髪が、背中でわずかに揺れる。

 廊下へ出ると、大広間から音楽と笑い声が聞こえてきた。

 今夜の夜会は、いつもより多くの貴族が集められているらしい。

 魔物の被害が広がっているというのに、王宮は眩しいほどの灯りに包まれていた。

 大広間へ続く扉の前で、父が足を止めた。

 振り返りもせず、低い声で告げる。

「……今夜、お前の処遇が決まる」

「……え?」

 その言葉を聞いて、セレナは息を止めた。

 処遇――婚約者である娘へ向けるには、あまりにも冷たい言葉だった。

 けれど、問い返すことはできなかった。

 父は、ようやくセレナへ視線を向けた。

「公爵家の娘として、最後まで恥をさらすな、いいな?」

 それを言った瞬間、重い扉が、ゆっくりと開かれていく。

 眩しい光とともに、大勢の貴族たちの視線がセレナへ向けられた。

 灰色の布の奥で、銀髪がひどく冷たく感じられた。

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